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57の会 FAX通信 vol.174 2023年2月21日 (株)コミュニケーションオフィス57 代表取締役 今津久雄 

父の思い出・・・(了)

 第二次オイルショックのとき、歌舞伎町店横路地の3軒隣(3階建て、一階は元従業員にテナント貸し、二階は従業員寮、3階は私の寮)そこと隣地購入、一部新築と改装して「歌舞伎町店別館」を父にお願いしOKを。1階は本館・別館の厨房と社員食堂・事務所。2階、3階を客席(4階私の寮)16卓という小さな店(17:00~23:00営業)だが「若干高額設定」に。客席を広く取り、高級感を出した。料理もすべて100~200円高く設定。同時期本館の売上も落とさなかった・・・

 当時、赤坂と歌舞伎町の店。なんとか宣伝を・・・と「広告塔」模索中の折、ある不動産屋さんの情報から、新宿3丁目のテアトルビル屋上広告塔を・・・「テナントで無いと不可」「じゃ、ビル内見せて」とキャバレー跡の8階部分208坪を借りることに。歌舞伎町の社員に聞くと「14:1」で私以外全員反対!大通りだが「人通り少なく不向き」と。「テナント」「空中階」と初めてばかり・・・父は、第2次オイルショックの時、歌舞伎町店別館開店時に本館の売上を落とさなかった「褒美」的な意味合い?で「5年で撤退してこい」と言い、出店許可。保証金含めて7億円程の出資だが、工事費等は3億程度(赤坂、歌舞伎町店は自社ビル)初テナントGOだった・・・

 7月11日開店。1日300000円程度の売上だった・・・当時人気上昇中だった、明石家さんまさんの東京進出に、弟分のジミー大西さんに「かに料理を食べさせる」という企画にご利用頂いた「独占大人の時間」(テレビ東京=当時は東京12チャンネル)の放送から売り上げ好調になった。赤坂店の時代に知り合った、五月みどりさんの弟、フジインターN.大野社長の紹介のおかげだった・・・

 何年かして、好調に推移の新宿本店で父が飲み、宿泊の私の寮に帰る時、靖国通り紀伊国屋前の信号で、酔って肩にもたれかかりながら「ようやっとる」と、一言・・・人生で、ただ一度父に褒められた言葉だった。今でも新鮮に鮮明に記憶に残っている。

 オイルショックや円高ショック等経済変貌が何度か有ったが「料亭利用者がかに道楽」を「ホテル利用者がかに道楽」を・・・となっただけで、さほど苦労だと思ったことはありませんでした。この新宿本店の高売上で次への足がかりになり、出店を重ねていきました・・・世の流れに乗じた。

 追伸

 ちなみに、第一次オイルショックのときは、赤坂店開店工事中で現場に常駐していました。7階建てビルの6,7階は寮で、そこで工事に立ち会っていました。工事資材が納品されずに、開店が二ヶ月近く遅れたことを思い出します・・・東京って、こういうものなんだ・・・的に思っていましたが、後々に「オイルショック」だということ知りました。その赤坂店、知人と一緒に美空ひばりさん来店され、接客の私に「坊や・・・」と呼ばれたことを思い出します。